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野田地図「Q」東京芸術劇場
野田地図「Q」東京芸術劇場_b0048834_08493646.jpeg
野田地図「Q」観劇。松たか子、上川隆也、広瀬すず、志尊淳、橋本さとし、小松和重、伊勢佳世、羽野晶紀、野田秀樹、竹中直人。
主役は松たか子。それからの愁里愛(ジュリエ)が役名です。それからの愁里愛は源氏の人間。それからの瑯壬生(ロミオ)は上川隆也。瑯壬生は平氏の人間。
広瀬すずこと源愁里愛(みなもとのじゅりえ)は、親か殺され、従兄の源義仲(橋本さとし)に育てられている。
源愁里愛の乳母は源の乳母(ウーバー)。ウーバーなので呼んだら来るものかと思いきや、呼びもしないのに来ます。なぜなら乳母だから。源の乳母は野田秀樹さん。世界一乳母が似合うと思った。野田さんのオババ役は真骨頂。
禁欲的な源家と快楽的で耽美的な平家は反目しあう間柄。平家の大将は平清盛(竹中直人)。
羽野晶紀は源の生母になったり、ロミオの母になったり、尼になったり3役。
源氏と平氏の二重スパイをする巴(伊勢佳世)は源義仲と恋仲で、いずれ結婚したいと思っている。
平清盛は欲を成せ、財を成せ、名を成せを座右の銘にしていて、「平氏にあらざれば人にあらず」なんつった台詞も飛び出しちゃうくらい栄華を極め、放蕩した生活を送っている。しかし何で権力を掴んだ人間はこのように傲慢になるのでしょうか。「この世をば我が世と思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」とか詠んじゃう人も10世紀にいましたね。
閑話休題。で、その息子が志尊淳で瑯壬生(ロミオ)です。ある日瑯壬生が愁里愛を見て一目惚れしてしまう。そして惹かれあうロミオとジュリエ。しかし2人は敵対する家同士。許される筈のない恋である。
そして愁里愛は言う。ああロミオ、あなたはなぜロミオなの。あなたの名前をお捨てください。

ロミオは悩む。ジュリエの為に名前を捨てられるのか。
舞台は洛中へ。源義仲とロミオが道で会う。義仲と近づきになりたいロミオだったが、友人の平の水銀が刀を抜いてしまう。斬りつける源義仲。散る水銀。怒りの炎を立たせたロミオは義仲の首を取る。

平清盛はもはや法皇よりも権力があるが、法皇のいう通り、ロミオを都から追放することとする。義仲を殺された巴はロミオを地獄の果てまでも追い義仲の弔いをすることを誓うのだった。

追放される前にジュリエに会いにきたロミオ。ジュリエと一夜を共にした後、朝のヒバリの鳴く前にその場を去るのだった。

走り出すジュリエは法皇の庵へ。どうしたら愛するロミオと一緒にいられるかを相談する。法皇は言う。死んだ真似をしろと。毒を飲んで死体のように振る舞うのです。しかしあなたは生きている…ロミオと逃げるのです。
ジュリエは毒をあおり、仮死状態になる。手紙でロミオにその企みを知らせるが、手紙は届かなかった。ロミオはジュリエと同じように毒をあおり、一緒に死のうとするが、2人は死ななかったのだ。

一幕終。一幕はシェイクスピアのロミオとジュリエットが下地になっていて、そこに源義仲と巴御前の話と平清盛の話が組み込まれています。
野田地図「Q」東京芸術劇場_b0048834_08505127.jpg


二幕は清盛が源頼朝を討てという言葉を残し死んでからの世界。安徳天皇が海に沈み、源頼朝が征夷大将軍になり、平氏の残党は馬車に乗る。距離にすれば千里。時間にすれば千年。連れていかれた土地はすべりの。いや、すべりや。シベリアだった。
シベリアで労働を強制される元兵士。基、元平氏。与えられる黒パン120グラム。マイナス三十五度、風速5メートル。黒パン80グラム。有刺鉄線、雪嵐、黒パン40グラム。家族へ書いた手紙は届かない。死んだ身体を最後に身送ったのはシラミだった。

頼朝が死に、恩赦が出た。シベリアから帰れる。名前を呼ばれた者だけが船に乗れる。名もなき平氏、名もなき兵士のロミオは名前を呼ばれなかった。

題名のQは、これは言わずもがなQueenのQ。今回の舞台は、Queenから音楽を使っていいという事で実現出来た舞台なのだそうです。どのようにも使って良かったらしく、ドラムだけ抜いたり、ギターだけ使うのもOK。クイーンから全面的にこの舞台への信頼を感じますが、なんでこんなに野田さんはクイーンから信頼されているのだろう?
そしてQのサブタイトルは ANightAtTheKabuki 。これはクイーンのアルバムオペラ座の夜のオマージュかと思われます。日本語に訳すと歌舞伎座の夜。
源義仲(木曽義仲)と巴御前の話は平家物語の木曽最期のエピソード。平清盛から源頼朝の挙兵の辺りがエピソードになっているのは源平盛衰記かなと推測。
14世紀のイタリアの話と12世紀の日本の話しと20世紀の戦争の話が融合された物語は非常に分かりやすく、スムーズで、それが怖くもありました。この話しが分かりやすいということは、1000年前から権力を持つ者の傲岸と権力を持たざる者の悲しみは変わらないという事と同義だからです。
今回のこの舞台は、香港の内戦(と呼んでもいいと思う)や、日本の桜を見る会とか、ベネッセ問題(私は個人的には桜を見る会も相当アレだが、ベネッセ問題が深刻だと思う。ベネッセ問題はこのまま突き進むと、日本の教育は崩壊すると確信しています。あれはまずい。)が風景として重なってしまい、かなり辛い気持ちになりました。特に二幕。権力のある太った人間を痩せ細った人間の労働で支える姿は舞台とはえいども辛かった。

野田地図「Q」東京芸術劇場_b0048834_08514323.jpg


広瀬すずはテレビで見るより実力者。不吉に美しかった。身体能力も非常に高く、特に毒をあおり仮死状態になる辺りの身体の動きは鍛錬の賜物。今回初舞台だそうですが、素晴らしい舞台女優になるでありませう。志尊淳さんもテレビで見るより良かった。テレビだとナヨナヨして見えるけど(私が見る時はいつもそういう役)舞台上では身のこなしの軽い、声のいい、将来を嘱望される俳優である事は間違いない感じ。
松たか子さんと上川隆也さんは安定して素晴らしい。竹中直人さん、羽野晶紀さん、小松和重さん、伊勢佳世さんも持ち味が滴るように出ていて、役者は全て揃っていた。
野田地図の衣装はいつも素敵だけど、今回特に好きだった。衣装はひびのこずえさん。平清盛から源頼朝の辺りの12世紀の雰囲気を纏いながらも現代の戦争のイメージも重ねられる衣装。

「ザキャラクター」「南へ」「MIWA」「足跡姫」「エッグ」「逆鱗」、そして今回観た「Q」。「戦争とは」というテーマがどの作品にも存在します。

今、野田さんは60代。実際は戦争を直接体験していない世代ですが、野田さんの親世代は戦争の渦中にいた世代実際に戦争に行った人を見てきた世代は、野田作品は戦争が主題の一つとして通底している事を感じられるけど、下の世代に行けば行くほど、分からないんじゃないかと思う。だって、身近じゃないから。だから野田さんは嫌がるだろうけど、解説は必要なんじゃなかろうか。と思い、詳しい感想文を書いてみました。


ところで、2022年度から国語教育が変わります。文学が省かれ、実用的な国語に舵が切られるとのこと。

高2以降は「論理国語」「文学国語」「古典探究」「国語表現」から2つ選択となるそうです。そうすると、文学にまるで触れない人が出てくるのよね。論理国語を学んだからといって、論理的な思考は出来ますかね?論理的な思考は、数学からの方が学べる気がするし、何しろ文学が抜け落ちる事で、今でも読まれなくなっている近現代の文学にまるっきり触れない人が出てくるという事になります。
舞台文化は、歌舞伎なんかもそうだけど、文学の要素がふんだんで、文学の教養があると尚更楽しく観れるもの。高校生の時に退屈に感じていた授業がある日突然、目の前の舞台と繋がる事もあるのです。読むもの、減らさないで欲しいなあ。

by mareemonte | 2019-11-29 07:48 | 劇やら映画やら | Trackback | Comments(0)
野田地図「MIWA」2013年10月
野田地図「MIWA」2013年10月_b0048834_9481083.jpg


1992年4月号のJJで野田さんと美輪さんの対談があった。野田さんは美輪さんと同じ格好をしての対談だった。あまりのビジュアルの衝撃に今でもそのページの二人の写真は覚えている。その対談は連載で、いつも野田さんは女装をしていて、いつも、誰に対しても面白くてシニカルで辛辣な事ばかり言っていてた。牧瀬里穂さんとか出てたと記憶している。当時の私は演劇に全く興味がなく、「なんでこの人、こんな恰好で面白くてきつくて酷いことばっか言ってるんだろう」と思いながら読んでいた。(読み物としては面白かったから。)ただ、美輪さんの時の対談は違った。どんな対談だったかよく覚えていないけれど、いつもの辛辣さはなくて、美輪さんに対しての尊敬が全面に出ていた。それが印象的だった。あの記事読みたいな。当時の私にそのJJ、捨てずにとっておきな、と言ってやりたい。

2014年1月13日追記 JJの野田さんのページ担当だった方から野田さんの1992年4月の記事を送って頂きました。本当に有難うございます!!!!!
「野田秀樹ミーハーの殿堂」という連載。そうだった、そうだったよ!懐かしい!

ミーハーの御誓文
1ミーハーの基本は、おばさん
2ミーハーはユーメーなものが好き
3好きだからこそ、ちょっといぢわる
4「ほんとのとこはどーなの?」が口癖
5家庭の話をしたがる
をコンセプトに野田さんがゲストと喋りまくるというものでした。おばちゃんの目線でのインタビューだから女装だったんだね。今、気が付いた。しかし改めて読むと本当にひどいことばっかり言ってるなー(笑)野田さんも酷いけど、美輪さんが酷い!(爆笑)今は皆に尊敬されて聖人君子みたいな印象だけれど。とても酷いのでここに書くのは自粛します(爆)そして何が驚くって20年以上前の記事なのに美輪さん、変わらない。外見が変わらない―。野田さんはものすごく若い。めちゃめちゃ若い。20年前のJJって前半は女子大生向けのファッション誌だったけど、後半の読み物記事ははっちゃけたものが沢山あったんですよね。宇宙飛行士の向井千秋さん(当時)の恐ろしいほどぶっちゃけたインタビューとか。すんごく面白かったんだよなー。

野田地図「MIWA」2013年10月_b0048834_9482477.jpg

2013年 10月12日ソワレ 東京芸術劇場

MIWA                                     宮沢りえ
赤絃 繋一郎(幼恋繋一郎、初恋繋一郎)               瑛太
マリア (継マリア、 継々マリア、赤絃まりあ、松葉杖の少女)   井上真央
最初の審判(通訳、ジュルルデ・ツーヤク、青年刑事)        小出恵介
ボーイ (ボーイ転じて先生、ギャルソン)                浦井健治
負け女(女給、チャチャチャ・マンボ)                   青木さやか
半・陰陽(父、日影陰気、日向陽気)                  池田成志
オスカワアイドル(MISHIMA)                      野田秀樹
安藤牛乳                                   古田新太

雲の上では明日地上に生れ落ちる命達が行列している。最初の審判(小出慶介)が踏み絵をさせている。男性器の踏み絵を踏めたら女。踏めなかったら男。男でもなく女でもないMIWA(宮沢りえ)が迷いながら自分の順番を待っている。女にしか見えない外見。でも踏み絵は、踏めない。踏み絵に躊躇していると、最初の審判に「お前のような化け物は世の中に生まれ降りてはいけない」と言われる。地上に降りてみたいMIWA。
そこへ別の化け物が鉄砲玉みたいに走りこんできた。勢いよくMIWAの手を絡めとり、二人は地へ落ちていく。MIWAの手をとったのはアンドロギュヌス(古田新太)。
アンドロギュヌスは男でもあり、女でもある。小さいMIWAはアンドロギュヌスと発音できない。安藤牛乳、と言い間違え、アンドロギュヌスは安藤牛乳と呼ばれるようになる。


地上。
長崎。
ポルトガル、ロシア、オランダ、イギリス、朝鮮、中国、さまざまな国の人々がそれぞれの容姿で、それぞれの暮らしを営んでいた。海を越えて渡ってくる食べ物、映画、音楽。カラフルな色で彩られた街。色をたっぷり含んだ街。長崎は色気のある街だった。そこに一人の赤ん坊がマリア(井上真央)の体を通してやってくる。男でもなく女でもないMIWAの魂と、男でもあり女でもあるアンドロギュヌスの魂は玉のように美しい肉に一緒に宿った。赤ん坊は男の子で、臣吾と名付けられた。ボーイ(浦井健治)や女給(青木さやか)が赤ん坊を見てあやしている。

MIWAは自宅で経営しているカフェや料亭、近所の女郎屋で男女の色恋、裏切り、別離などを間近に見ながら、映画を見て、音楽を聴いて、美術骨董屋で美しい某かを眺め、育っていった。母は二人目。MIWAを宿したマリアは早々と死に、継マリア(井上真央)に可愛がられてMIWAは成長する。

やがて戦争が始まる。
劇場にかかる演目が変わった。ボーイは白と黒の箱の中に納まってしまった。
MIWAは毎日背中に防空頭巾を背負い、絵を描いている。
美しく育ったMIWAは疎開で長崎に来ていた幼恋繋一郎(瑛太)に恋をした。

その日も絵を描いていた。
窓の外が光った。
こんないい天気の日に、と思うやいなや轟く爆音と地響き。たちこめる煙、爆風、空襲警報。涙、叫び、血、火ぶくれし、ずるむける皮膚、地面に落ちる肉塊、骨。郵便配達夫、医者、学生、主婦、子供、工員、街中に死の灰が降る。ボーイ転じて先生が生き残った人間の点呼をとる。幼恋繋一郎は呼んでも返事をしない。


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アメリカ人記者と通訳(小出恵介)にその日、その時間何が起こったかを聞かせるMIWA。
「この爆弾は天罰だ。この原爆のおかげで、戦争が終わった。今、この同じ時間にアメリカではパーティーが始まっている。原爆を投下し帰還した少佐が報告する。将軍が「それでこのパーティーに遅刻したんだな」と言う。会場は笑いに包まれる。」
アメリカ人記者の言葉を通訳がMIWAに伝える。
「その口からどんな言葉が出てるか、わかってる?」
通訳に尋ねるMIWA。
「自分は通訳しているだけだから」答える通訳。

帰ろうとするアメリカ人記者と通訳に
「僕はあの時十歳だった。僕の話はまだ終わらないんだ」
と立ちはだかるMIWA。16歳になっている。
「観客は一人いればいいだろう。もっと君の話が聞きたい」
MIWAに話をせがむオスカワアイドル(野田秀樹).
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焼野原で四葉のクローバーを探すMIWA。初恋繋一郎(瑛太)に渡すためだ。二人で映画に行く初恋繋一郎とMIWA(と安藤牛乳。)三人目の母、継々マリア(井上真央)は同性愛者のMIWAを疎んじて東京へうっちゃればいい、と言う。映画を見ながらうつむくMIWA。映画の中の愛は男と女だけのもの。男と男が愛し合ってはいけないのかと思い悩む。そして同じ肉に宿りながら沈黙を続けていた安藤牛乳が歌いだす。初恋繋一郎はその歌声を賛美する。
「君、絵より歌のほうがいいよ」
そして初恋繋一郎が向かった東京へMIWAも向かう。音楽学校に入る為に。

駅に迎えに来ている初恋繋一郎の腕には婚約者がぶらさがっていた。
「ここは長崎じゃないのよ。男同士は恋人同士とはいわない。その字は恋じゃない。変よ。東京では隠れていたほうがいいわよ。」

こういう時に限って心の中に安藤牛乳はいない。

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倫巴里。銀座にあるシャンソンの殿堂。MIWA(と安藤牛乳)は負け女(青木さやか)と連れ立ってオーディションを受けに行く。結果はMIWAだけ採用。倫巴里のオーナー、半・陰陽(池田成志)がMIWAの歌声を聞いてついに見つけた、と興奮している。
MIWAは倫巴里のスターとなり、常連の心を掴んだ。オスカワアイドルはMIWAの信棒者となり、店に通い詰めた。ここのシャンソン歌手はエリートばかりなんだからすごいよ、とギャルソン(浦井健治)は言った。

半・陰陽はこの店をMIWAに任せたい、という。自分は映画を撮りたいからと。主演は赤絃繋一郎(瑛太)。MIWAはまた繋一郎と恋に落ちていく。

倫巴里にギャルソンの家族が押し掛ける。
「この子は子供のころから四葉のクローバーなんかを集めて気色が悪かった」
「僕、気色が悪かったですか?」
「ずっとね」
首を吊るギャルソン。
ギャルソンの母親に激高する安藤牛乳。おまえの言葉が子供を殺したと叫んでいる。MIWAの中の安藤牛乳が暴れだす。やめろとMIWAが制しても安藤牛乳は怒りを止めない。

MIWAと赤絃繋一郎は深い仲になっていく。赤絃繋一郎は映画スターで、寝る間もないくらい忙しいけれどMIWAとの時間は作る。MIWAとの逢瀬が彼の安らぎだった。
でもその仲も引き裂かれることになる。赤絃繋一郎の妹がMIWAとの仲に嫉妬したのだ。兄妹の恋と男同士の恋。禁断の恋同志が一人の男を取り合う。MIWAは繋一郎をあきらめた。これでいいのよ、と。

ラジオが聞こえる。そのラジオは赤絃繋一郎が事故で死んだことを告げた。
歌えなくなるMIWA。
MIWAの楽屋を訪ねるオスカワアイドル。海の底へ潜れば失くした宝は見つかるという。

海の底へもぐると安藤牛乳がいた。
「どうしたの」
「なにが」
「もどってきた」
「臣吾、世話になったね。ありがたかったばい。このCDもらっていくね」

海からあがり、ヨイトマケの唄を歌うMIWA。一度海に沈んだMIWAは海面にあがり、歌い、また喝采を浴びるようになる。楽屋を訪れるMISHIMA(野田秀樹)

「歌声が戻りましたね」
「おかげさまで、オスカワさん」
「いえ、僕は三島由紀夫と言います。今まで僕の体に住んでいたアンドロギュヌスがお世話になりました」
「あなたのアンドロギュヌス?」
「オスカワアイドルは僕の中の化け物だったのです。でも、さようならを言いに来ました。」
「あなたのアンドロギュヌス、どこに行ったんです?」
「これから市ヶ谷の方に」

MISHIMAは自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺をした。

倫巴里。倫巴里は閉じることとなった。
「倫巴里の役目は終わったから」というありきたりの答えを用意してたんだけどね。じゃね。と半・陰陽が挨拶する。
楽屋で支度をするMIWA。
青年刑事(小出恵介)が安藤牛乳屋の倅を見つけた。路上で死んでいたので、亡骸を引き取ってください、とMIWAに告げにきた。
「安藤牛乳は誰を殺めたの」
「母親だ。男を愛していることをなじられたのさ」

倫巴里で歌う最後の時。
愛するものが目の前でどんどん死んでいく。もう立ち上がれない、と言うMIWA。
そこに負け女が出番の時間だと告げに来る。
「美輪さんて。生きていてつらいことなんてなかったでしょう?」
「あるわけないでしょう。」

舞台に向かうMIWA。
愛の賛歌。
喝采。
幕が開く。

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いつも野田地図の芝居は「こここ、この舞台は理解出来るんだろうか」と不安になりながら見ているですが、今回の野田地図はとても分かりやすい芝居でした。美輪さんの出生から美輪明宏になるまでが時系列を追った作りになっていたからかもしれません。パンフレットには出鱈目な物語とあったけれど、それほど出鱈目でもなかったし。

配役はMIWAの宮沢りえさんと安藤牛乳の古田新太さん以外は皆、複数の役についています。場所と時間を変えながら、名前と肉体を変えながら同じ魂が何度も蘇る。美輪さんがご自身を天草四郎の生まれ変わりと公言されているからこのような設定になったのでしょうか。この全体を覆う輪廻転生の世界観は色鮮やかな幻のようでありました。

宮沢りえさんは美しかったです。人の心を惑わせるまでの美しさを持つMIWAはりえちゃんにぴったりの役。りえちゃん自身が類まれな美貌だしね。がしかし、同じ肉体に宿るもう一人の魂、アンドロギュヌスの古田新太がすごかった。しょっぱな登場から古田さん、金髪で奇抜な衣装の今の美輪さんそのものなのです。もう、それだけで面白いわけです。その上、声がいいし、動きもピシッと決まる。お酒飲み過ぎていかにも不摂生そうな顔してんのに、かっこいいとはお世辞にも言えないのに、なんだかとてもやたら目立つ。それで、どうしても古田新太を目で追ってしまう。オーラというかパワーというか、なんかそのようなよく分からない見えない何かが古田さんにはあるんだよね。りえちゃんの演技、貫録もあって大女優の風格もあって、本当によかったのに、古田さんなんだよな・・・。

オスカワアイドルというアンドロギュヌスを同じ肉体に宿している三島由紀夫は野田秀樹さん。変な額縁さげて登場していかにも変人なのだが、MIWAを精神的に支える著名な作家、という役どころ。三島さんと美輪さんの交友については美輪さんご自身がいろいろなところで語られているし、これはきっとそのままの話なんだろうな。三島さんは美輪さんの歌と、容姿と、美輪さんご自身をきっと深く愛していたのだろう。
昔、某女優のご母堂と食事をしたことがある。その方は昔市ヶ谷に住んでいて、三島さんの生家のわりと近所だったそうだ。夏の旅行もいつも同じ時期に同じ伊豆の今井浜東急。三島さんは早朝からホテルの敷地で剣道の竹刀を振っていて「なんで平岡さんとこのぼっちゃんは剣道やってるのかしらね。海に来たんなら泳げばいいのに。」と噂の的となっていたそうだ。その頃の三島さんはなまっちろくてひょろひょろしていて、折れそうな子供だったらしい。自分の中のアンドロギュヌスを飼い慣らせなかったオスカワアイドルは市ヶ谷で割腹自殺をしてしまった。三島由紀夫に美輪明宏のような天性の美貌が備わっていたとしたら、運命は変わっていたのだろうか。

倫巴里の経営者、半・陰陽の池田成志さんもよかったなー。怪しいおっさんまるだしで(ほめてます)今回の芝居は池田さん然り古田さん然り、熟練したおっさん俳優の力技がすごかったです。若手もみな、頑張っていたし、よかったのだが、おっさん俳優がなにしろよかった。これぞ舞台の面白さだよねえ、ルックスじゃないところが(ほめてます)

がしかし、この私の感想は舞台半分より後ろで観た人間だからこそらしい。メタルビーズ教室でなんと一番前の席で観劇された方がいらして、その方曰く「りえちゃんは顔が崩れない。ずっときれいなままで嘘みたいだった。古田さんは…汗が・・・・。顔がどんどん・・・・・」とのこと。舞台は見る席でだいぶ印象が違うみたいですねー。

そんな訳でMIWA、良かったです。さすが野田さん。次回作は2015年なんですね。2014年は野田地図見られないのかあ。嗚呼。次回作、首を長くしてお待ちしております。
by mareemonte | 2014-01-13 16:21 | 劇やら映画やら
おのれナポレオン 天海版、宮沢版観劇感想
おのれナポレオン 天海版、宮沢版観劇感想_b0048834_14524280.jpg


舞台中央には椅子、そこにスポットライト。
客電が落とされ、アントン・マルキ(今井朋彦)の独白から舞台は始まる。

ナポレオンが死んで20年。その本当の死因を探している医学生ビクトール(医学生と話している設定であるが、医学生役はいない)がアントンマルキを訪ねていく。
アントンマルキはセントヘレナ島でナポレオンの主治医をしていた。
セントヘレナ島へ幽閉されたナポレオンはヒ素で毒殺されたという噂があるが、胃癌が死因の直接的なものだったと。亡くなる何か月前からどんどん体重が落ちていって、それはスキルス性胃癌の症状そのものだったと。そう、確かにナポレオンは便秘だった。これはヒ素に体が毒されたものの特徴であるが、胃癌で死んだのだ。
今ではしがない町医者だが、何か力になれることがあればいつでも力になりますよ、と医学生にお茶を勧める。

医学生は次にシャルル・モントロンの元へ話を聞きに行く。
やさぐれ、よれよれの服を着ているモントロン(山本耕史)彼はセントヘレナ島へ幽閉されたナポレオンに最後まで忠誠を誓い、ナポレオンからの莫大な遺産を手にした伯爵だった。しかし、賭博好きで、その遺産はもう今はなく、この頃は知り合いの女に世話になっている。ジゴロである。
モントロンはナポレオンの最後を看取った唯一の人間だ。ナポレオンを毒殺?まさか。確かにセントヘレナで生活していた頃、自分の妻のアルヴィーヌがナポレオンと恋仲になり、ナポレオンの子供を身ごもったのは確かだが、そんなこと恨んじゃいない。むしろアルヴィーヌを差し出したのはこの俺なんだからな。まあ、ワインでもどうですか。

そのモントロンの妻だったアルヴィーヌ(天海祐希)は今はパリで居酒屋を切り盛りする女将である。居酒屋はそこそこ流行っているらしい。居酒屋の女主人はまずワインを勧める。ジュブレ・シャンベルタン。ナポレオンが愛したワイン。
はすっぱで美しいアルヴィーヌはナポレオンとの思い出を語る。そう、私はナポレオンを愛していた。ナポレオンの子供を産んだ。名前はジョセフィーヌ。ジョセフィーヌは短い命だった。
「あなた、あの名前をするにもいまわしいイギリス人の所へは行ったの?あの、ナポレオンを愚弄したあの男の所へ」

「ようこそおいでくださいました。最近では訪ねて来る人もいなくてね。」
イギリス人でナポレオンを監督していたハドソン・ロウ(内野聖陽)はパリで暮らしている。
「ウェリントン将軍、ちょっと外に出ていてくれ、お客様と話があるからね」
(たぶんネコ)を「いいこだ~」と言いながら外に放し、
「今日は時間がありますか?ゆっくりしてしていってください。さあ、お茶を」
と勧めながら話しを始める。
「セントヘレナ。あの忌まわしき島。」

ハドソンのガウンが肩から落ち、20年前に話はさかのぼる。

ナポレオンはワーテルローの戦いで敗戦し、イギリス軍艦に投降した。
ナポレオンを監視するのはセントヘレナ総督ハドソン・ロウ。

ナポレオンとハドソン・ロウの初めての対面の日。
待てど暮らせどナポレオンは来ない。イライラするハドソン・ロウ。
とそこへ突然ナポレオンが来るという。
「皇帝陛下のおなーりー!」
志村けんみたいなモモヒキ姿(いや、モモヒキではないけどさ。モモヒキにしか見えん)の
ナポレオン(野田秀樹)が
「急げー!潮が満ちるー!」
と言いながら走り去っていく。
その後を侍従のマルシャン(浅利陽介)がバケツをもっておいかける。

「この辺りの海岸ではアサリが沢山とれますのよ」
「あの方はああいうお方です」
憤慨するハドソン・ロウにアルヴィーヌやアントンマルキが話かける。
「今日はもうお帰りください」
アルヴィーヌに冷たく言い放たれたハドソン・ロウは怒りに震える。

ハドソン・ロウは徹底的にナポレオンの生活を締め付けることにした。まずはロングウッドの屋敷には柵がつけられた

「柵どうにかしろ!じゃなかったら部屋からは、でな~い!」
甲高い声でものすごい勢いでハドソン・ロウに抗議するナポレオン。
ハドソン・ロウは対抗する。
「あんたひとりにイギリスがいくら使ってると思ってるんだ、イギリス政府は、この島に何千の兵士を送り込んであなたを監視している。海上でも10隻の監視船が島を巡回している。年間四十万ポンド(ここうろ覚え。たしか四十万ポンドだったですよね?)もあなた一人の警護に使っているんだ。お荷物なんだよ!」
「今のとこ、もう一度言って。何十万ポンド使ってるって?」
自分が沢山のお金を使って守ってもらっていることに快感を感じるナポレオン。
その姿を見てまたイラつくハドソン・ロウ。
柵は取り外さない。
ナポレオンはマルシャンに「これじゃ自由を奪われた鳥にすぎない」
とこぼす。

ハドソン・ロウはさらにナポレオンの生活を締め上げる。手紙はすべて開封し、中を検閲。モントロン伯爵にも今のナポレオンの生活に対して苦言を呈する。パリにいた頃のように盛大なパーティーをするのかいかがなものか。そんなに金を使うなら自分達で稼いだらどうだ。
こんな小さな島でどうやって金を稼ぐのか、とハドソン・ロウに突っかかるモントロン。
家財を売ればいいじゃないか、村人に、と言うハドソン・ロウ。
そしてかつてヴェルサイユ宮殿で使われていた食器などをロングウッドの屋敷で二束三文で売り始める。ハドソン・ロウはでもまだプライドがあるんだな、銀食器に刻まれたボナパルトの刻印だけは必死に削っている、と高笑いする。

奈落の階段をかけあがるナポレオンとアルヴィーヌ。

ナポレオンの日常を紹介する。まず起床。夜が明けると乗馬で散歩をし、それから朝食。熱い風呂。それから肉体訓練。口述筆記をしたり、肉体訓練。お昼を食べてまた熱い風呂。そして肉体訓練。ここまででなんとまだ午後2時。夕食は8時。食べるのが早いのは、あまり噛んでいなかったようで、その後はピアノを聞いたり、モリエールを読んだり、口述筆記など。とても規則正しい生活を送っていた。(うー、ここもうろ覚えです・・とにかく風呂は2回で肉体訓練が3回なのは覚えていた)

ハドソン・ロウは相変わらずナポレオンを皇帝とは呼ばなかった。必ずボナパルト将軍と呼ぶ。当時のフランスでは苗字でなく、名前で呼ばれるのは皇帝のみ。だからこそハドソン・ロウはナポレオンをボナパルト将軍と呼び続けた。フランス帝政の皇帝ナポレオン1世であるナポレオンであるにもかかわらず。ナポレオン皇帝陛下と呼ばせたいナポレオンとボナパルト将軍と呼び続けたいハドソン・ロウ。それならチェスで勝負をつければいいいではありませんか、とアントンマルキが提示する。

かくしてチェスの戦いが始まる。盤上とはいえ、軍人同志の戦いだ。熟考するハドソン・ロウに対して駒の進め方の早いナポレオン。ハドソン・ロウはわざとナポレオンをかく乱させる為にワーテルローの戦いでなぜ負けたかを聞こうとする。なぜプロイセン軍に到着の時間を与えてしまったのかと。ナポレオンは答える。チェスと違って本物の戦いには天候がある。包囲に必要な援軍を率いてくるはずだったグルーシーの伝令の遅延がワーテルローの戦いでの敗因だった。君は私を怒らせようとしているみたいだが、この話はもう終わりだ。私はこのような時にでも盤上に目を配っている。君がヴィショップを動かして、クイーンをとったとしても(ここ、もっと野田さんのチェスへの台詞があるんだけれど、覚えきれなかった)君のキングはチェックメイトになるんだ。
圧倒的に強いナポレオンに対し「今、ビショップを触ってまた戻した、それはタッチアンドムーブで反則だ。」
と絶対に負けを認めないハドソン・ロウ。
そしてナポレオンはハドソン・ロウに言う。
「この戦いがチェスでよかったよ。本当の戦いなら君はもういない。戦場に反則負けなどないんだよ、ミスター・ロウ。」

ロングウッドで給仕長をしていたチプリアーニが突然急死した。ヒ素が入ったワインを飲んだのだ。誰がかナポレオンを暗殺しようとしている。いったい誰だ。セントヘレナまで一緒についてきた腹心であるはずのラスカーズ、グルーゴー、ベルトランが次々とナポレオンの前から姿を消していく。お抱え医者のアントンマルキまでもだ。アントンマルキはマルシャンに男色を迫ったという理由で屋敷への立ち入りを一時禁止されてしまった。ワインにヒ素をいれられるのは誰か。ナポレオンの耳にかつての腹心の部下の悪い噂を入れられるのは唯一の人物だ。そう、シャルル・、モントロン。

「ヒ素を入れたのは俺じゃない」
「じゃあ、誰が?」

ナポレオンを殺そうとしていたのは、アルヴィーヌだった。ナポレオンの子供を身ごもり、幸せなアルヴィーヌ。フラメンコまで踊っちゃう。しかし彼女はナポレオンにフランスから手紙が届き、セントヘレナ脱出計画が実現しそうだという話を聞く。パリへ帰ったら妃にしてやる、とナポレオンは言った。でもわかっていた。パリに行けば自分は大勢の女の一人になってしまうことを。それなら殺してしまう方がましだ。

でもその計画は給仕長チプリアーニとその愛人が死ぬ事で未遂に終わった。アルヴィーヌはセントヘレナから追放され、パリに戻される。

ナポレオンが病に臥せている。容体は良くない。胃が苦しいという。
「吐酒石をレモネードに溶かして飲んでみましょう」
とアントンマルキ。吐酒石は胃の中のものが吐き出され、一時的にでも楽になるからと。

レモネードに溶かした吐酒石をモントロンが与える役となる。
こんな日がこようとは。ようやくナポレオンに復讐出来るのだ。

吐酒石入りのレモネードを所望するナポレオンにモントロンが言う。
「俺の事を覚えていないのか」
全く覚えていないナポレオン。
シャルル・モントロンの過去の話が始まる。

初めての出会いは9歳の時。1792年の夏だった。コルシカ島に赴任していたナポレオンはシャルルの家庭教師をした。因数分解を教え、これは戦争にも役立つ、X、Yに軍隊をあてはめるとどのような問題点があるかが浮上してくる、という話を機関銃のような早口で9歳児のシャルルに言って聞かせた。全く分からなかった。天才の考える事は理解出来なかった。でも父親以外に初めて出会った大人の男で、シャルルはナポレオンに大いなる憧れを抱いた。

次の出会いは17歳の時。シャルルはモントロン中尉となり、ナポレオンと謁見した。その頃のナポレオンは戦争に連戦連勝、フランス軍はイタリア北部へ領土を広げ、有名な軍人となっていた。
「私を覚えていますか」
と聞いたところでナポレオンが覚えているはずもない。
「取り入ろうとしても駄目だ。戦で勝てばいくらでも取り立ててやる」

しかし取りたてられることはなかった。美人だが評判のよくない女、アルヴィーヌとナポレオンの許可なく結婚したからである。上司に許可なく結婚を決めたことに怒った、とナポレオンは言っているが、本当のところ、アルヴィーヌを気に入っていたナポレオンがモントロンに対して怒りを感じただけだったのだ。モントロン夫婦は追放された。

でも失脚したナポレオンの前に現れたのはモントロン夫婦だった。
どんどん臣下が消えていく中、セントヘレナまでついてくるというモントロン夫婦。それがナポレオンの財産を夫婦で狙っていたからだとしても。

ナポレオンの心にはモントロンは記憶されておらず、そのことについて怒るモントロン。「めんどくせー男だなー!」とナポレオンが叫ぶも「忘れ去られた人間の気持ちを考えろ!」と苦しむナポレオンに怒りをぶつけるモントロン。ナポレオンは謝罪し、すべての財産をモントロンに、と遺言状を残し、それと引き換えに吐酒石入りのレモネードを飲むのだった。

朝だ。
アントンマルキとハドソン・ロウがナポレオンを見にくる。死んでいるかのように眠っている。
ハドソン・ロウは昔セントヘレナという島でナポレオンとチェスの試合をしたのだ、と将来自慢する、と言っている。ヴィショップを動かして、鮮やかな捨て駒、そしてチェックメイトまでの経緯を楽しそうに語る。「そうなんだ~」とむっくり起き上がるナポレオン。
「負けを認めたならナポレオン皇帝陛下と呼んでもらおうか」
突然の事態に思わずナポレオンの首をしめようとするハドソン・ロウ。
「何やってるんだ!」と飛びかかるモントロン。
「い、いや、首のサイズを測っていたんだ。ネクタイを送ろうと思って。赤…ピンク?」
と言いながら慌ててハドソン・ロウは部屋から出ていく。

その夜あっけなくナポレオンは死んでしまった。
最期の言葉「部隊~、さがれ~」
と言いながら。

ナポレオンの亡骸を毛布にかぶせ、ハドソン・ロウ、アントンマルキ、モントロンがナポレオンの死について語る。死亡解剖が必要だが、それはしないほうがいい。アントンマルキが間違った処方をし、それをモントロンが飲ませてしまった。ハドソン・ロウは監督の立場として一連の行為をもみ消すことにした。解剖はする。ただしもう所見は出来ている。


医学生、ビクトールは最後にマルシャンを訪ねる。マルシャンはナポレオンの推薦状でパリに戻ってからは会計監査院で働いていて、なかなかいい暮らしぶりのようだ。礼儀正しくビクトールに「カフェオレをどうぞ」と勧める。

マルシャンは言った。
いつかあなたのような人が私の元を訪ねることは分かっていました。
ですから本当の話をしましょう、とナポレオンの死因の真相を語り出す。

ナポレオンはハドソン・ロウに行動を制限され、自由を奪われた。自由を奪われた鳥にしか過ぎぬのなら、世は死ぬことにした。一瞬の死の方が世に宣告された緩慢な死よりはるかにましだ。しかし世は自殺はしない。世にふさわしい死を与えてくれ。

そして自分を暗殺する計画が始まったのだった。

全てを聞いたビクトールはアントンマルキの所でお茶を、モントロンの所でワインを、アルヴィーヌの店でワインを、ハドソン・ロウの家でお茶を飲んだ。そしてマルシャンの家ではカフェオレを。そう、セントヘレナでアルヴィーヌが使ったヒ素は五等分され、それぞれが持っていたのだった。こうしてナポレオンの名誉は守られた。

ビクトールは始末され、久しぶりに集まった5人は「まさか20年後にまた集まるとは」と言うが、マルシャンはそれを否定する。
「こうやって皆さんが集まることも計画に入っていました。どうせろくな生活をしていないだろうから、はい、これは今日のお駄賃です。」
とナポレオンが用意していたお駄賃をそれぞれに渡す。

そうだったのだ、ナポレオンの名誉を守るために全ての人は駒だった。クイーン、ルーク、ナイト、ビショップ、ポーン。すべてナポレオンが動かす駒だったのだ。

お駄賃をもらってアントンマルキ、アルヴィーヌ、モントロンが帰っていく。
ハドソン・ロウだけはお駄賃を受け取ろうとしない。そこでマルシャンがナポレオンがハドソン・ロウへの言葉を告げる。
「あなたなら名誉を守ってくれると思った。人生の最後にあなたのような人間に出会えた事を神に感謝している。」
ハドソン・ロウは
「有難うございます、ナポレオン皇帝陛下」とお礼を言って去るのだった。

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ナポレオンは野田秀樹さん。甲高い声でテンション高くて、エキセントリックで、せっかち。わがままでプライドが高くて、女性に対して博愛主義で、頭がとんでもなくよくて、非常に策士。素早い動きと高い身体能力が人間ぽくなくて妖精みたいでした。ナポレオン自身、背が小さくてカリスマ性があって、という人だったそうで、野田さん、もともと似てる?

ハドソン・ロウは内野聖陽さん。破天荒でしっちゃかめっちゃかの天才ナポレオンに対して四角四面で融通の利かないハドソン・ロウ。嫌な奴なようでいて、人間味があって、私はとーっても好きでした。きっとお上手なんだろうな、と思っていたけれど、本当に上手だったです。期待通り。

シャルル・モントロンは山本耕史さん。この方の舞台を見るの初めてですが、お上手なのもそうですが、美しいのですねー。華がある。モントロン伯爵時代は金のモールのついた青い軍服を着ているのですが、オスカルみだいだった。

アントンマルキは今井朋彦さん。すごい早口の台詞も小さな声の台詞も隅々にまで響く素晴らしい声。飄々とした演技も安定のさすがさ。宮沢版では台詞が多くなっていました。でも余裕に見えた。(きっと大変だったとは思うけど)職人芸を見た感。

マルシャンは浅利陽介さん。この方、若いのにうまかったなー、滑舌もよくて。小道具を運んだり、黒子としても活躍。前半はほぼ台詞なく、最後の最後で狂言まわし的な役回り。

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そしてアルヴィーヌ。
天海さん版と宮沢さん版と合計2回観劇しました。

このお芝居の主役は野田さんのナポレオン。ナポレオンは癇癪持ちで小さい男、と伝わっていますが、三谷さんはきっとそのイメージでナポレオンを作りたかったんだと思う。小さくて、せっかちで、エキセントリックで、常人では考えられないような事を考える天才。そのナポレオンのキャラクターを際立たせる為にも他の登場人物は背が高くなくてはならなかった。実際、内野さん、山本さん、今井さん男性陣は同じくらいの長身。(浅利さんは野田さんと揃えたっぽい)女性も然り。天海さんは背が172センチで、野田さんと並ぶと、大きい。この背の高さも天海さんである理由の一つだったと思うんです。で、天海さんを役に据えて、あて書きをしたと思うのね(全くの妄想だけどさ)そうすると、アルヴィーヌははすっぱで勢いがあって、キレがあって、でも好きな人の前では愛らしく、可愛く、キラキラ夢見る乙女、という天海アルヴィーヌが完成形だったと思うんだよなあ。

秀でた女優さんは2日できっと台本を覚えられる。大竹しのぶさんも、深津絵里さんも、戸田恵子さんも松たか子さんも。三谷さんの舞台にゆかりのある女優さんで2日で台本を覚えられる方は沢山いらっしゃると思う。でもなにしろ背だ。背がある程度ないと物語のプロットが崩れてしまう。宮沢さんも167センチあるそうだけれど、天海さんに比べれば小さくて、だから、モントロン夫婦が追放されるシーンで天海アルヴィーヌがナポレオンにすがるところで「でけーな!」と突っ込みが入り、アルヴィーヌが「あっちが小さいのよね」とモントロンに話しかける、というシーンなどはなくなってしまった。(宮沢アルヴィーヌがすがるシーンでは「これ見よがしに胸を強調するな」とナポレオンが言って、モントロンが「確かにすごい」と言う。)

当然といえば当然だけれど、アルヴィーヌの演出もだいぶ違っていた。ナポレオンの一日を紹介するシーンは天海アルヴィーヌだとコミカルに、かつ元気に紹介。ナポレオンが肉体訓練をするシーンは腹筋なんだけど、1日の3回目の腹筋シーンで、ナポレオンがためらっていると「にーくたーいくーんれーん!」とほぼ脅しのような紹介でナポレオンに腹筋させる。このシーンは宮沢アルヴィーヌだと本を読みながらの紹介で、割とさらっと終わってしまうのだった。天海版だとかなり笑いが起きるシーンなんだけど。天海版ではこのシーンがお気に入りだったから、宮沢版では「ああ、そうかあ・・・」と思った。

ナポレオンとアルヴィーヌがフラメンコを踊るシーンで、短いけどアルヴィーヌがソロを踊るシーンがあって、そらもうかっこよすぎて、さすが元ヅカトップ過ぎて、華がありすぎて「ゆうきさまーっ!」と天海アルヴィーヌでは叫びそうになってしまったが、宮沢アルヴィーヌはフラメンコシーンは手の動きだけ。
「ボンボヤージュ!」のシーンも天海アルヴィーヌは笑いが巻き起こっていたけれど、宮沢アルヴィーヌでは通り過ぎてしまったのであった。

でも宮沢版ではナポレオンにモリエールの劇中劇をアルヴィーヌとモントロンが演じるというシーンで、
アルヴィーヌ「練習しましょう!セリフは入ってるの?」 
モントロン「お前に言われたかねーよ!」 
 
「一日や二日でできるようになるのか?!」 
「いっぱいいっぱいですっ!」

この自虐的台詞シーンは大いに笑ってしまった。黒い笑いは必要だね。ふ。

天海さんは一流女優で、その人が綿密に練習を重ねてきて、35公演もやった舞台を2日の練習で公演数も4回であった宮沢さんがいかに天才であろうと、北島マヤよりすごかったとしても、天海さんを凌駕することにはならないと思うんだよね。もちろん宮沢さんの演技もいいのです。いいのですよ、130回くらいある台詞を飛ぶことなく美しい声で仕上がっているのだから。でもそんな事、誰が言わなくても宮沢さんが一番よく分かっていると思うのだ。それが分かりすぎているほど分かった上で、興行を潰していろいろな方面に損害が出ないように、何か月も前から楽しみにしていた演劇ファンの為に難しい局面を引き受けてくださったのだと思う。宮沢さん、本当に有難うございました。劇が再開されて本当に嬉しかったです。

今回は降板代役劇が大きな話題になってしまったけれど、劇の純粋な感想はなにしろ野田さん。役者としての野田さんが素晴らしいのでありました。内野ハドソンも山本モントロンも今井アントンも浅利マルシャンもえらい上手なんだけど、野田さんの存在感、はんぱねー。役者はうまい人が揃うと劇って本当に面白いね。

三谷さんの舞台、正直自分の中では当たりはずれがあるんですが、この舞台は大変面白かったです大当たりでした。私の中ではおのれナポレオンとペッジ・バートンが双璧でございます。おのれナポレオンという題名、 L'honneur de Napoléonにかかっているんですね。ナポレオンの誇り。確かに最後の最後まで誇り高きナポレオンであった。三谷さん、面白い劇を有難うございました。

東京芸術劇場HPより

野田秀樹 コメント
3ステージ中止となった為に、ご観劇予定であったお客様には、心よりお詫び申し上げます。
天海祐希さんには、まだまだこれから長い役者人生がありますので、何卒みなさまご理解下さいませ。
そして、宮沢りえさんの、わずか二日間での稽古で舞台に立つことを英断してくれた男らしさに感謝します。宮沢さんのおかげで上演できることになった残り4ステージに魂を込めて演じさせていただきます。

三谷幸喜 コメント
僕に出来ることは何だろうか、と考えました。
天海さんと、必ずまた舞台をやること。
宮沢さんに、今回のお礼に芝居を書くこと。
ご迷惑を掛けたお客さまに喜んで頂ける作品にすること。
心筋梗塞にならないこと。それくらいしか思いつきません。


これを読んで、もしこの二人がサラリーマンだったら、と考えた。
野田さんは才能豊かな天才だけれど、営業とかもできて、本社のお偉いさんとなりそうな感じ。(いや、絶対なるでしょう)三谷さんは次々にヒット商品を作るけど、本人希望で本社勤務にはならなくて、研究所に勤務する伝説の社員、という感じがします、はい。


山本耕史、休養で会見急きょ欠席 りえ代役舞台で“3日3晩寝ず”の状態
オリコン 5月13日(月)15時43分配信

俳優・山本耕史が13日、出席を予定していたNHKドラマ『激流~私を憶えていますか?~』(6月25日 午後10:00)の記者取材会を欠席した。山本は、女優・天海祐希が軽度の心筋梗塞のため降板し、宮沢りえが代役を務めた舞台『おのれナポレオン』にきのう12日まで出演。同局によると、宮沢との共演シーンが多く、3日3晩寝ていない状態だったため、今後の撮影を考慮し大事をとって休養したという。


5月13日 追記
山本さん・・・・(涙)
宮沢アルヴィーヌの時、吐酒石入りレモネードをナポレオンに渡す時、くるくるまわったり、空中に投げた液体をキャッチしたり、と山本モントロン大活躍だったシーンがありました。あそこ、天海アルヴィーヌの時はあんなに激しくなかったよな。台詞も増えていたようだし・・・。
今井アントンマルキも「あれ?こんなに喋ってたっけ?」と思ったシーンがあったし、フラメンコを踊るシーンは野田ナポレオンがめちゃめちゃ踊り狂っていた。男優さんも相当変更があったんですね・・。舞台は生ものだから大変なんだな・・・。撮り直しなんてないもんね。
by mareemonte | 2013-05-12 19:22 | 劇やら映画やら
野田地図「THE BEE」
野田地図「THE BEE」_b0048834_1231847.jpg

「THE BEE」 水天宮ピット マチネ 
野田秀樹 宮沢りえ 近藤良平 池田成志
筒井康隆「毟りあい」原作

ちょっとだけ占星術が出来ます、私。(個人的な星占いはしないです。いろんな意味で大変だから。)
2012年の2月つまり今年の2月に魚座の守護星である海王星が魚座に回帰しました。
海王星が魚座に回帰する時って「自分と他者との境界線があいまいになる」
ってことが現象として起こりやすくなるらしい。(ほんとにちょっとしか占星術出来ないのではっきりと言いきれないけど、この解釈であっていると思う・・)

確かにこの他者との境界線があいまいってものすごーい実感することが多い。例えばフェイスブック。それまでのコンピュータの世界はやれ、顔を乗せるとアブナイ、実名なんてもってのほか、っていう空気だったですね。それがどうだ、実名も顔写真ものせて、友達のつながりも分かって、自分の今いる位置情報なんかものせて、どこでだれと会って何をしたって記録までのせちゃう。私なんぞは古い人間だから「おいおい、そこまで自分のセカイをさらしてしまっていいのかえ?」と疑問に思うし、フェイスブックの「元気いっぱい!ポジティブポジティブ!」みたいな空気に違和感があって、イマイチ踏み込めないけど、世の中の流れはこの「あいまいさ」「可視感」みたいな方へ進んでいるように思います。今年魚座に入った海王星はむこう10年は魚座に滞在するから、これからもっと世の中は透明感が要求されて、可視出来るようになり、他者との境界線があいまいになりそう。それが良かろうと悪かろうと、そういうムーブメントんだろうな。ま、このあいまいさからの反動で「閉ざされた世界」「選民意識」「秘密結社」なんてのも裏主流として起こりえそうなんだけど。

この「自分と他者があいまいになる」「正と悪があいまいになる」「絶望と希望があいまいになる」っていう世界が今回の野田地図の「THE BEE」に描かれた世界なのですが。
いやー、ムナクソ悪かった!

エリートサラリーマンの井戸(野田秀樹)が、息子の誕生日祝いを手に抱えながら自宅に帰ると、妻と子供が脱獄囚(近藤良平)に人質に取られ、自宅に立て籠もられていた。
脱獄囚は自分の妻が、自分を捨てようとしている事に怒り、妻との復縁を要求して、井戸の家に立て籠る。井戸の妻子を解放して欲しいなら自分の妻が自分の元に帰ってくるように説得しろと。

井戸は警官と一緒に、脱獄囚の妻(宮沢りえ)に夫を説得させるために妻の自宅へ出向く。妻は子供(近藤良平)と二人暮らし。ストリッパーをしている妻は井戸の話に耳を貸そうともしないし、傲慢な態度で井戸に接する。
警官が脱獄囚の妻に乱暴な態度をとるので井戸は頭を殴ってしまい、結果警官を殺してしまう。こんなはずではなかったと狼狽する井戸。しかしこれこそがきっかけとなり、井戸の中の正義と悪がひっくり返っていく。井戸は警官の腰から拳銃を抜く。被害者から加害者へ。暴力には暴力で。井戸は脱獄囚の妻子を人質にとり、脱獄囚と対峙するのであった。

拳銃を脱獄囚の妻子に突きつけ、窓を封鎖し、密室の中にこもる3人。
妻を凌辱し、子供に暴力をふるいながらもその妻に飯を作らせ、3人で食卓を囲む。
起床。身支度。食事。暴力。食事。暴力。食事。凌辱。就寝。
日常と非日常の境界線があいまいになっていく。恐怖なのかなんなのかさえ妻は分からなくなっていく。
井戸が一度だけ拳銃を体から離した。その拳銃を手に取る妻。しかしその引鉄を井戸に向けることなく、またいつも通りの密室の生活に戻ってしまう。

「妻子を解放しろ。さもなくばお前の子供の指を切る」
狂気と化した井戸は脱獄囚の子供の指を1本切り取り、それを封筒にいれ、脱獄囚に届ける。泣き叫ぶ子供、庇いながらも井戸の行動に逆らえない母親は子供の指を封筒にいれ、封をして外の世界へ運ぶ。

玄関のポストにポトン、と封筒が落ちる。
ようやく解放する気になったのか、と封を開けるとそこには井戸の子供の指が入っていた。激怒する井戸。また脱獄囚の子供の指を切り、封書に入れ、外へ妻へ運ばせる。

ほぼ指を切りとられた子供は死ぬ。
今度は妻の番だ。ご飯の後に何も言わず指をさし出す妻。
指を切る井戸。
切り続けると妻も死ぬ。

まだ封書が届く。

さあ、自分の指を切ろうか。




やれ、暴力の連鎖がどうだ、9.11がどうだとか言われてきたが、実のところ、私はそんなことのために芝居をやっているわけではない。もしもそれだけの演劇だったとしたら、この芝居はただの頭でっかちのつまらないもので終る。演劇の中で大事なものはテーマではない。小道具である。このことを世界中を回って改めて確信した
パンフレットより 


と野田さんが仰っているだけあって小道具が冴えていました。舞台装置は一枚の紙がつるされているだけ。これが舞台背景になります。カッターで切れば窓になり、テレビになる。紙の下に入れば布団になるし、ちぎれば手紙にもなる。紙はどんどんくしゃくしゃになっていって、それはまるで生活の荒みそのものに見え、内面さえも表されているように見えました。手につけた鉛筆は切られていく指に見立てられたものだったし。

舞台を見ながら「これが演劇だから見ていられるんだよなあ」とずっと思っていました。
もしこれが本当の出来事だったら、指を包丁で切るっていったって、荒んだストリッパーの使っている包丁がよく研がれたものであるはずがない。指はなかなか切れなくて、何度も何度も包丁を上下させて指を切ったはずです。血も出る。体は脂汗をかいて、うめきながら震えるだろう。窓を封鎖された密室で空気の入れかえもしないだろうから、生活臭も血の匂いも充満する。洗濯ものだってたまっているはずだ。演劇だから見ていられる。異臭が漂うわけでもないし、生活道具が紙で見立てられているからこそ心に逃げ場がある。これはお芝居なのだ、と認識出来るのだなと。これがスーパーリアリズムを追及した映像での表現になるといわゆる「演劇」ではなくなってしまうのだろうなと思いました。


劇の最後は井戸が自分の指を切りおとそうか、としているシーン。カタルシスは一切排除されたものになっています。
「おれは被害者としての適性のない人間だ。だからおれはより困難なこの立場を選んだ。おれが好きでこの道を選んだんだ」
確かに井戸は自分の中の内なる狂気に自分で気がつき、それを喜んでいるんじゃないかと思う表情をするんだよね。正と悪があいまいになり、被害者と加害者の境界線があいまいになり、日常と非日常があいまいになった井戸は狂気に狂喜することで感情を昇華させていったんだろうか。


原作は筒井康隆の短編小説「毟りあい」。私が高校の時に筒井康隆の「文学部唯野教授」という本を読んでいたら国語の先生にめちゃめちゃ怒られた。「筒井康隆なんて読んだら精神が歪みますっ!!!」って。学校の図書館で借りたんだけど(爆)確かに明治生まれの先生には筒井康隆の小説の世界は歪んだものに映ったのであっただろう。がしかし現実の世の中は昭和に書かれた筒井ワールドを遥かに超えた事件などが起きるようになってしまった。筒井康隆氏は断筆されてしまったけれど、今ももし何か書くことがあったらどんな小説を書いてたんだろ。

現実の酷い世界にフィクションが勝てるはずがない。だからテーマに比重を置くということはしないのだろうか、野田さん。次回作は「エッグ」。9月に観劇する予定です。楽しみ。
by mareemonte | 2012-07-07 11:30 | 劇やら映画やら
南へ 野田地図
南へ 野田地図_b0048834_20413479.jpg

3月5日 マチネ
池袋芸術劇場
妻夫木聡 蒼井優 渡辺いっけい 高田聖子 チョウ・ソンハ 黒木華 銀粉蝶 

舞台は火山の火口近くにある観測所。
そこに火口に身投げしようとした虚言癖の女・あまね(蒼井優)が連れられてくる。そしてもう1人。南のり平((妻夫木聡)が観測所に赴任した。



「どなたですか。」
「証明書かなにかあるの。」
「証明している?あなたがあなたであると。」





南のり平であることを証明しろとのり平にくってかかるあまね。そして他の観測所の所員がくると私にこの男が裸になれといったと嘘をつくあまね。あまねに唖然とし、腹をたてる南のり平だが、観測所の所長(渡辺いっけい)はあまねの言うことを簡単に信じてしまう。

観測所でもめている最中も噴火の予兆と見られる地震が頻発。
南のり平は地震のデータを見ながら分析しようとするが、道長(チョウ・ソンハ)は「いつもの地震」と片付け、所長に至ってはデータを見ることもしない。野球を見るので忙しいのだ。

地震が増えている。

微振動を感じる地震を観測しなければいけない、と南のり平が言っているが、旅館の三つ子の姉(高田聖子)がそこに観光客を連れてくる。観光客は天皇の行幸の下見だという。地元の新聞社の記者もくる。
「天皇陛下が訪れることにあたって一言お願いします」
と所長から言葉をもらおうとしている。

天皇陛下が訪れたとなればお墨付きがもらえる。お墨付きは食えないが、お墨付きでは食えるのだ。

天皇の行幸は潰させない。
だから地震で危なくてもそれは知らせない。
天皇陛下の訪問を中止にしてはいけないのだ。
噴火の危険性は隠ぺいすればいい。
なぜならそれは所長が天皇陛下を御案内したいから。
お墨付きをもらえるから。

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私が見たのは東日本大震災の6日前だった。

「まさか、わかんないまま終わる?」と劇の中盤から不安に思っていたことが的中。本当にその通り、その場では半分も理解できず劇は終わった。多分、野田さんの芝居の中でも難しいものだったと思う(いやいや、簡単な野田地図はないけど。一つも。)

現代の火山観測所、富士山が噴火した300年前、第二次世界大戦の頃、どんどんと変わっていく時空。天皇制、マスメディアの功罪、権威のお墨付き、朝鮮半島と日本。嘘と真実、虚構と現実。そして自分は本当に自分なのか。その名前は本当に自分のものなのか。自分を証明出来るのか。そもそも自分を証明するものは正しいのか。今、信じているものは信じることに値するのか。主題になるモチーフを探している間に芝居は終わってしまったのだ。

そして3月11日に震災が起きた。

日本人は信心がない、とよく言われるけれど、それは私は違うと思う。特定の神は信じていないけれど、いろんなものを信じて生きている。例えば揺れない地面。例えば朝になれば陽が昇り、夕方になれば陽が沈むこと。昨日と同じように地面は割れず、津波もなく、普通に家に住めることを信じて生きているんだ。ただ当たりまえ過ぎてそれを信心とは呼ばないだけで。

放射能だってそこら中に飛散したり、地面にしみこんだりしないと信じて生きてきたのだ。
信じていたものが根こそぎひっくり返されるような経験をした上でこの芝居を見たなら、印象が全然違うと思うし、戯曲への理解も深いものになったのだろう。再演があったら是非見たい。こうやって芝居を思い返して考えると現在の現実に気味が悪いほど重なる部分が多いから。

終盤であまねが白頭山から来たと明かされる。
白頭山は北朝鮮にある山で、実際過去に大きな噴火があった火山だ。
そして白頭山は偉大なる将軍様が生誕されたとされる場所である。
題名の「南へ」は北朝鮮からきたあまねが目指す場所なのか。
それとも自分が誰なのか分からなくなってしまったかつて南のり平という名前を名乗った日本人が探す自分自身なのか。


蒼井優は想像とちょっと違った。声帯がまだ強くないのか、声がかすれてガラガラなのが気になった。声量も劇場のすみずみに届く、という感じではなく、一生懸命張り上げる感じ。ただ、立っているだけで佇まいがいいというか、やはり人の目をひきつける何かはある。
運動神経は非常にいい。カンの鋭そうな動きをする人だと思った。
妻夫木君は上手になったなー。

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野田さんは「放射能がくる!」というアエラの表紙に抗議して連載をやめてしまったけれど、結局放射能はきてしまいました。風評被害でもなんでもなく。実害があってもパニックを避けるべきなのか、混乱を恐れずに真実へ突き進むべきなのか。この答えはまだ出ておらず、そして私達は未だその渦中にいます。
by mareemonte | 2011-07-31 07:45 | 劇やら映画やら
野田地図「ザ・キャラクター」
友達がその当時西荻窪に住んでいた。

「あのさあ、駅前で変な歌を歌って踊っている白装束の集団がいるんだよね。それがテレビに出てたの。見たことある?」
「あるある!あれでしょ!貫頭衣みたいなの着てて。」
「そうそう、あれあれ。」
「あれ、なんだろねー。」
「ねー。」

2人の会話はそれで終わってしまった。それはおもしろおかしくて、滑稽なものにしか見えなかったからだ。その後ろには底なしに潜む闇があるなんて誰がその時気がついただろうか。

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舞台は町の書道教室。「ギリ写経」を教える家元は生徒に耳ざわりのいい言葉を並べては自分の方になびかせ、時に高圧的な態度をとり、時に甘い言葉をかけ生徒達を操っていく。家元の望むように熱心に書をする生徒達。家元が書く文字を有り難がる生徒達。そして書道教室で書いた字を胸に、白い装束を身につけ秋葉原の歩行者天国を練り歩く姿はテレビでも盛んに放映される。テレビのコメンテーターはそれを見て侮蔑し、失笑する。誰の目にも滑稽なカルト集団としか映らない。

でもその実情はそうではなかった。操られた生徒達は眼前で人殺しの現場を見せられ、心が動けないようになる。硬直している状態で念書をとられる。ある生徒は逃げようとして毒を盛られて殺された。生徒同士で殺し合いをすることもあった。ここは変だ、異常だ、と思っていた生徒達もこの世界で生きていくことしか出来ないと感じるようになる。

そしてビニール袋と傘を持って地下鉄へ向かう。家元の為に。自分達の信じるものの為に。





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書道教室の話なので漢字がふんだんに出てきます。題名にもなっているザ・キャラクターとは「文字」という意味もあります。「儚さ」の中に「夢」があり、「俤」の中には「弟」がいる。「幼さ」の中には「幻」があり、「魂」の中には「鬼」が住んでいる。この文字の意味とギリシャ神話のダプネーとアポローンの変身の物語が織りこまれ、後半の話は急速にサリン事件に集結していきます。


私は当時、東京で働いていたし、使っている地下鉄も現場になったものだったからこの話は忘れようにも忘れられないもので、だから舞台の後半は見ているのがとても辛かった。特に信者同士がポア(殺し合い)を行う場面は生々しく、歯をくいしばりながら見ました。客席のあちこちからすすり泣く声も聞こえたし、主役の宮沢りえさんも泣きながらお芝居をしていました。

強く断定した口調で生徒を洗脳する家元。人を殺す場面を生徒に見せて強制的に共存の立場に追い込む家元。さんざん自分に尽くした幹部をいとも簡単に殺す家元。なのに逆らえず、お互いがお互いを監視し合う生徒達。そこには徹頭徹尾救いはありませんでした。

相変わらず素晴らしい脚本ではありましたが、非常に疲れました。さすが野田さん、と思ったけれど。

7月の鑑賞記録です。をを、4か月も前の話だ・・。
by mareemonte | 2010-11-02 22:40 | 劇やら映画やら
野田秀樹芸術監督就任記念プログラム 「農業少女」
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野田秀樹の脚本を松尾スズキが演出した「農業少女」。物語の骨子は野田さんの考え方そのものでしたが、演出次第でこんなにも違ってしまうんだなあと。まったくもって松尾さんの劇になってました。くっだらない言葉遊びが松尾ワールド全開。思わず腹抱えて笑ってしまう場面多数です。主演の多部未華子ちゃんはロリロリ全開。かわいー。太ももバーンと見せたり、パンツチラ見せしたり、おばちゃんドキッとしました。「ぎょえー!未華子のパンツ見た!」と心の奥深くで動揺してしまいました。杉本彩女史などよりもエロスを感じる俺はオヤジでせうか。

未華子ちゃんは声が素晴らしい。澄み切った声はすみずみにまで響き渡り、かつ明瞭。滑舌すこぶるよし。15歳の役でしたが、ロリータ的エロスも毒も可愛らしさも表現出来ていたように思います。ただ、悲しみがね・・。立っているだけで悲しく見えるような悲しさというのは感じられなかった。多分こういった感情は想像だけでは表現しきれないと思うので、その点は年齢を重ねればいずれでしょうか。あとダンスがすんごく上手だった。キレよく軸ブレなし。




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百子(多部未華子)は農家が出自で、それを忌み嫌っている。何故嫌うのか。それは具体的ではない。気分かもしれない。電車で乗り合わせた毒草学者の山本ヤマモト(山崎一)はそんな百子に心を奪われ、一緒に暮らすようになる。東京行きの電車に一緒に乗り合わせた江戸弁の女(江本純子)と行動を共にする百子。江戸弁の女と百子は原宿に行ってみる。百子に江戸弁の女は自分の上司を紹介する。都罪(吹越満)だった。都罪はボランティアを主宰していた。その会場で大便をしても臭くならない米を作ると提案する百子。それは面白い、と煽る都罪。農業高校に入学し、農業へ米作りへのめりこんでいく百子。百子は都罪に夢中になる。やがて百子は時代の寵児となり、都罪はボランティアの主催者として有名になっていく。山本ヤマモトはそんな百子と一緒に暮らし、翻弄されながらも庇護し、嫉妬に狂っていく。

都罪は米なんて初めから興味はなかった。ただ、自分に大衆の目が向けばよかった。時代の波に乗り、自分に集まってきた力をつかみ、権力を持つことこそが彼の目的なのだから。

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実際の時間というのは過去・現在・未来という時間軸が存在しています。でも人間は現在に過去を思い出す事が出来、未来に思いをはせることが出来る。例えば今、このブログを読んでいる方でも突然昨日食べたモノを思い出したりすることがあるかもしれない。過去を今、思い出すことで過去を現在にオンすることが出来るわけです。現在と過去を同時進行させることが出来るということです。
これは自分のアタマでは分かっていても、この感覚を他人と共有し、視覚的に他人に理解させるのは上手な脚本でないと非常に難しいと思うのですね。野田さんの脚本はいつでもこの時間の見せ方が素晴らしい。今回も「ほほう、そうなるのか」と唸る場面が多々ありました。

中年男性(山本ヤマモト)が美少女(百子)にダメにされていく話はウラジミール・ナボコフの「ロリータ」が下敷きになっていますが(私はスタンリー・キューブリック版の映画を見たことがありますが、これがまた性に倒錯した怪しい映画で・・・。キューブリック、こえええ)谷崎潤一郎の「痴人の愛」テイストも盛り込まれていたように思います。不幸な幸せというか・・。中年男性が望んだ形の幸せではないけれど、でももうそこから離れられない、不幸さえもが幸せに思えてくるような歪んだ愛。そしてその美少女(百子)も権力(都罪)によって歪められていく。この権力に歪められていく姿というのは脚本の主題でもあるように思いました。全体主義への警鐘なのか、批判なのか、それとも世の中には全体主義のような思想がある、という紹介なのか。この辺りは見る人それぞれの受け取り方なのだと思います。ただ、力というものは両刃の刃で、ある時はヒトを救えるし、ある時はヒトを容易に潰すことが出来るものである、というのは野田さんからのメッセージなのかなと思いました。そしてその全体主義を生むのはほかでもない、大衆の熱狂なのだと。無責任な熱狂は間違った方向に進んでも熱狂が続いているうちは流れを変えることの出来ない怖さがあるのだと。






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ところで松尾さんの生写真、いったい私はどうすれば・・・。後生大事に手帳に挟むしかないのか(悩)
by mareemonte | 2010-03-23 11:11 | 劇やら映画やら